EDO弦月人 第3回 壷井浩子さん(25回生)

音楽のある生活、いかがですか?

高校時代

今回、「EDO弦月人」のコーナーに書いてください、とお声かけいただきまして、久しぶりに卒業アルバムを開きました。両親ともすでに他界、宮崎の家も処分してからだいぶ日が経ちますが、写真を眺めれば、高校時代はついこの間のよう。。。
バンカラという言葉がありますね。吉田拓郎の歌でいうと、「下駄を鳴らして奴が来る。腰に手ぬぐいぶら下げて~♪」です。弊衣破帽。私が1年生の時の3年生にはまだそんな人がいました。1年生の教室から見下ろすと、優しそうな先輩がボロボロの学生帽、下駄履きで自転車をこいでいて、旧制高校出身の父に話すと笑っていました。父は高校教師で、下駄履きの生徒にこらこら、靴を履きなさい、という立場だったのです。
ちなみにファッションは、その頃アイビー、JUN とかVANの時代が続いていたはず。紙袋が流行りました。
バンカラもアイビーもいる時代。欧米の文化に憧れて、まだまだ成長の予感がある時代でした。
入学してすぐ、余りやる人のいない(らしい)総務委員に立候補、まだ何もわからぬ1年坊主が、毎日総務室通いをすることに。放課後遅くまで残っても何も言われず、毎日のように「朝日屋」やもう1つのお店へ(名前を忘れました)。帰ってから夕飯も食べていたので、もちろん体重は右肩上がり、増加の一途。
初めての高校体育祭、終了後に「ファイヤーストーム」をやろう、という計画が実行委員(応援団?)の先輩方からでて、学校側は、火を焚くことは断固認めないということで喧々諤々。1年生の総務委員にとってはハラハラの体育祭、ストームは実行され、先生たちはじっと見守っておられたように記憶しています。
部活が終わった男子をまちぶせして友達のラブレターを渡したり、返事を聞きにまた待ち伏せしたり(!)
なんてことも。お菓子作りの上手な友達に、バレンタインのケーキはバタークリームと生クリームどっちがいいか、試作品を食べ比べてほしい、と言われた時のうれしかったこと…その頃の友情は永遠です。
勉強の思い出がない!
大変個性的な先生方がいらっしゃったと記憶しています。今にして思えばもったいないことです。
こうして思い返せば、自分は大きな器の中の小さな世界で生きていたのだなあと。おかげで型にはまらず、のびのびと自主自立(?)、新しい世界へと旅立ち、ぐるりと回って今戻ってきたような気持ちです。

あの頃好きだった音楽は今も好き

私たちの高校時代、ギター1本あれば誰でも歌えるし作れるし、友達とバンドもつくれる時代がもう来ていました。ラジオの深夜放送や「ユアヒットパレード」も楽しみでした。中学高校時代に好きだった曲は今もよく聴きます。
最近、お会いする方に、あなたの青春の1曲を教えてください、とお聞きすることがあります。
その人の故郷や青春や思い出とセットになっているので、興味深いです。お仕事でご一緒する時は硬いイメージの方が、天地真理が好きだった、とか。
私たちが大きな困難にぶつかった時や不幸に見舞われた時に、音楽に力があるかどうかはわかりませんが、音楽を聴いた「経験」がとても大切なものに思えます。
音楽好きのご両親がいれば家のステレオやラジオから何かしら流れていたことでしょう。家族の愛に包まれた幼い頃、ときめきや不安に満ちた10代、そして大人になってから、音楽はそれぞれの時代の記憶と結びついて、幾つになっても決して消えることなく、何かの時には蘇り、私たちを力づけてくれます。

ブリーズノートと音楽のある生活

「0歳からの音楽会」というコンサートを時々やっています。音楽を聴きながら子どもに話しかけるお母さん、赤ちゃんの顔を覗き込んでは嬉しそうに反応を見ているお父さん、ノリノリで、孫とリズムをとるおばあちゃんなど、見ていてとても幸せな気持ちになります。小さな小さなコンサートですが、とても大切な時間を積み重ねています。

また、今年7月に実現した、14回生の原田康子さんのコンサートのお客様は、50代~80代の方が中心。人生の時を重ねた大人の歌の数々、素晴らしかったです。トークも絶妙で、気がつけば私たちは、それぞれの記憶の海を心地よく漂っていました。これもまた誠に幸せな経験でした。
原田さんは音大を卒業後すぐに、銀巴里のオーディションに合格、プロの歌手として、日本だけでなく、パリ、オランダ、ポーランドなどでもリサイタルをされて、今も現役。すばらしい歌い手さんが先輩にいらしたというわけです。

有名なコンサートホールやクラブでのコンサートも魅力的ですが、ブリーズノートのコンサートは、暮らしの中で気軽に楽しむ生の音楽。演奏家との距離も近く、一緒に歌ったり踊ったりできる、ライブ感満載のコンサートです。小さいコンサートをいろいろ、皆様のお近くでできたらいいなあと思っています。子どもと手をつないで、ズックやサンダル履きでいけるような…
試行錯誤の日々は続きます。

音楽のある生活、ブリーズノートとご一緒にいかがですか?

壷井浩子さん(25 回生)の略歴

1973年宮崎大宮高校、1977年東北大学文学部卒業。
20代で渡仏。帰国後、外資系ビジネスコンサルタント会社勤務の後独立、フリーで仏語通訳翻訳業。
一男一女の母。結婚後はほとんど仕事をしていません。
子育てと介護がひと段落して、2011年10月、57歳で「出前コンサートのブリーズノート」をたち上げました。2014年法人化。一人会社の代表取締役として、まわりに助けて頂きながら、0歳からおとなまで、あらゆる世代の方へ、「出前」のように音楽をお届けしています。

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