EDO弦月人 第2回 遠山詳子さん(30回生)

幸せは創るもの

はじめに

大宮高校を卒業して 40 年、それは宮崎を離れて 40 年ということでもあります。当然その間にはいろんなことがありました。大学、結婚、出産、育児、仕事などなどです。その中で継続していることが二つあります。それは家庭生活と仕事です。
今回は EDO 弦月人第二回となります。なにしろトップバッターが上智大学前学長の早下先輩です。私が今どれほどの重圧を感じているか、お察しください。でも、私が二回目を担当するとなれば、きっと今後寄稿してくださる方が気楽になるだろうなぁ、とも思うようになりました。そこで、そのミッションを果たすべく、私自身のことを背伸びせずに書いてみたいと思います。

10 代:百人のうち一人でも私を分かってくれる人がいたら十分

私は人の顔や名前を覚えるのが、とても苦手です。きっと今でもたくさんの失礼を重ねていると思います。すみません。でも、もしかしたらそれは自己防衛の一つだったのかもしれません。
私は国富町に生まれ、本庄小学校に通っていました。父が学校の校舎やプールを作っていた関係で校長先生などからもよく声をかけられました。そうすると、子ども達の中ではちょっと浮いた存在になってしまいます。
それが息苦しくて、私は宮崎大学附属中学校を受験することにしました。運よく合格となったのですが、今度は今度で、「東諸県郡ってどこぉ?」などとからかわれ、これまたちょっと浮いていたかも。
あぁあ、どこにいってもそうなるんだ。つまらないなぁ。そう思った私は世界に目を向けるようになりました。だって、世界地図を広げると日本なんてほんとに小さい。その中で宮崎県はずっと端っこ。宮崎市とか東諸県郡とか、ほとんどの人はその差なんてわからない。そのちっぽけなところで、自分と相手とのほんの少しのどうでもいい違いに左右されることがばかばかしくなってきたのです。
とはいえ、私とてみんなと楽しく過ごしたいんです。だから高校生の時、一つのことを胸に刻みました。「百人のうち一人でもわかってくれる人がいたとしたら、それだけでもう十分に幸せ。」
そう考えて自分の世界に入っていた私は、おそらく超マイペースだったでしょう。高校 2年生の時には、夏休み前後を使って、イギリス・オックスフォードに語学留学にも行ってきました。自分で研修先を見つけ、日程も決め、パスポートも一人で取りに行きました。
おかげで一学期の期末テストは参加できず、担任の矢野滋樹先生には多大なるご迷惑をおかけしました。ここまでいくと、マイペースというよりも、わがままですよね。すみません。
でもその旅は私の「ものさし」を大きく変えてくれました。その頃は南回りのフライトで、乗り換えも含め 30 時間以上。なので、今の私にとってはニューヨークまでの 13 時間はとても短くて、距離だってものすごく遠いという感覚はありません。そう、時間や距離にたいする「ものさし」がとっても長くなったのです。
それは人に対しても同じです。どれほどの時間をかけて、どれほどの距離を保つのか、国籍や言葉や外見にとらわれることなく、ゆるやかに考えられるようになったように思います。
なのでますます、「一人でもわかってくれる人がいたとしたら、もう十分に幸せ。」という思いが根付いていったのだと思います。

20 代:一年単位で目標設定

23 歳の時、その「一人」と出逢い、結婚しました。本家の跡取り娘で父の会社の後継者として婿を取るのが当然と思われていた私ですが、父は「家や会社を継がせるために育てたわけじゃない。」と、優しく送り出してくれました。それでも私は親を捨てたような罪悪感に捉えられていました。
そんな私に母は一つだけ言い聞かせたことがあります。それは、「夫の悪口を外で言わないこと。妻が夫を立てなければ、他の誰も夫を心から認めてくれない。誰からも認められる夫と添い遂げるのなら、親としてそれほど幸せなことはない。」ということでした。
夫婦なんて山あり谷ありですが、その約束は今でも実直に守っています。おかげで面識のあるなしに関わらず、私の周りでは、夫は理想の男性という美しい誤解が生じています。
「男は女が創る」ということでしょうか。
さて専業主婦となった私は、新婚当時は家事も年間行事も分からないことだらけ。3 年後に子どもができてからは、家事と育児にかかりきり。だんだん世の中から取り残されるような気がして、スーパーのレジ係の人の働く姿がうらやましくて、新聞で見る女性の活躍にあこがれて、焦燥感が募りました。
そこで私は 1 年に一つ、何か勉強しようと考えるようになりました。それはパソコンであったり、フラワーアレンジメントであったり、パーソナルカラーであったり、マナーや簿記であったり。習い事の域ではありましたが、必ず納得できるレベルまで身に付けようと思ったのです。

30 代:10 年単位で目標設定

30 代になると、子ども達のお受験も終わり、気持ちと時間に余裕ができてきました。
そこで考え始めたのが「私は将来どんな人間になりたいのだろうか?」ということ。
とはいえ、そんな遠いことはよくわかりません。そこで、「私はどんな 40 代になりたいのだろうか?」と考えてみました。すると、笑顔で仕事をしている自分が目に浮かんだのです。
丁度その頃、パーソナルカラーの師がスイス人で、彼女の通訳兼アシスタントとして仕事を手伝っていたので、その延長線上としてパーソナルカラーなどのトータルイメージを一生に一度の花嫁姿の役に立てられないかと考えました。それが私とブライダルとの出会いです。
結婚式は社会的承認の場ですから、その時の印象が今後の結婚生活に大きく影響してきます。花嫁衣装は和装もドレスもボリュームあるので、似合う色ならば魅力的にみえますが、そうでないと冷たく見えたり、老けて見えたり、不健康に見えたりします。ブーケも、印象を大きく左右します。マナーも大事です。そしてそれを効率よく伝えるための資料作成に、パソコンは欠かせません。
そう、私がこれまで学んだことの集大成がブライダルの仕事となったのです。またマナーの分野では、専門学校や企業研修などの仕事も増えていきました。

40 代:人生の目標設定

40 代になると、いろんな転機が訪れました。まずは子宮筋腫になり、全摘手術を受けたこと。癌の疑いもあったので、もしものことを考える機会となりました。子ども達はまだ小中学生なので、これから先子どもが 躓つまづいた時そばにいてあげられないかもしれないと考えると、胸が張り裂けそうでした。でも、人に公平であることだけは身に付けてくれているのかなと子ども達を信じたら、手放すことを少し受け入れられるようになりました。子どもは強いですから。ただ、私より年上の夫や母の悲しさを考えると心が痛みました。だから、もしも私が先に逝ったときに遺された人たちが「ああしてあげればよかった」とか、「ああさせてあげればよかった」と思わずに済むような生き方をしなければと思いました。
そのためには、まずは自分自身が幸せにならなければ。死に様は、生き様なんですね。
40 代半ばでは、公益社団法人日本ブライダル文化振興協会の認定制度で「初代ブライダルマスター」という称号をいただく幸運に恵まれました。予選はブライダルに関する問題300 問を 60 分で解き、上位 5 名が決勝に進み勝ち抜いていくものでした。
実はマスターに挑戦する気はさらさらありませんでした。だって、年長者の決勝に残らなかったらかっこ悪いじゃないですか。でも、第 1 回の開催ということで応募者がなかなか集まらずに事務局の女の子たちが困っていたので、「イベント感覚で楽しもうよ!私もチャレンジするからさぁ!」と、若い子たちに声をかけたのです。
結果、多くの人が集まってくれたのですが、人寄せパンダの私が図らずも優勝してしまいました。また、出版社から本を出してくださることにもなりました。その時思ったのは、「自分の見栄とかより人のことを考えて行動したら、ちゃんと神様はご褒美をくださるのだな」ということです。
初代という責務もあり、それからの私は「若者を守り育てる」をライフワークに、勉強会などの手伝いなどを始めるようになりました。私の人生の目標がみえてきたのです。

50 代:まだまだ学ぶことばかり

さて、私は今 58 歳です。大学の教壇に立ち、本を上梓し、業界誌の対談連載で全国を飛び回っています。
これほど仕事に恵まれた理由の一つに、資格があると思います。これまでにたくさんの資格を取得しました。でも、私は資格フェチではありません。必要に迫られただけなのです。
研修や講演は、人をプラスの方向に導かなくてはなりません。そのためには、熱い思いや体験談だけでなく、いろいろなスキルを正確に伝えることが求められます。それはコミュニケーション能力だったり、自分を前向きにコントロールするコーチングだったりです。
しかしながら、近年は様々なストレスから心が弱っている人が多くなりました。心がマイナスの時にプラスに転じさせるのは無理があり、ストレス過多になることが珍しくありません。まずは心をマイナスからゼロの状態に戻すことが大切です。そこで、メンタルヘルスを学びました。
このようにいろいろなスキルが必要となるのですが、私はどのスキルも資格を取ることには 拘こだわりました。なぜなら資格というのは、「きちんと理解し、正確に行動できているかどうかを、客観的に判断する」ものだと思うからです。解ったつもりや自己満足を避けるためには、資格は必須です。
一昨年の 3 月、56 歳の時には大学院を修了しました。まさに 50 の手習いです。ブライダルはまだまだ新しい産業で、学術的に論じられることがこれまでほとんどありませんでした。そこで、私なりにチャレンジしようと思った次第です。
これは本当に面白かったです。大学院の講義は小難しいものが少なくありませんでしたが、ブライダルというフィルターを通しながら学ぶと、とても理解しやすかったのです。
また、新たな視点や観点を持つことができたり、データを集めたりと、ブライダルの世界が広く深くなってきました。まだまだ修行の身です。

さいごに

私がこれまで幸せに生きてこられたのは、ひとえに家族と周りの人たちのおかげです。
たとえ勉強であっても、人の役に立ちたいと思うことであっても、そこには時間やお金が必要になります。みんなの理解と協力がなければ到底できないことです。特に夫には、保護者のように育ててもらいました。「女は男が創るもの」なのですね。
ではどうやって理解と協力を得られたのか。それは分かってもらえるまでとことん話すこと。例えば専門学校の講師の依頼を頂いた時のことです。夫にまず相談し、快諾を得ることができました。次は子ども達です。幼稚園と小学校の子ども達にはこう相談しました。
「ママはこのお仕事がやりたいと思う。でも学校の仕事は絶対に休めない。たとえあなたたちが熱でお休みしても、ママは出かけなければならない。それが仕事の責任だから。でも、ママにとって一番大事なのはあなたたちなのは変わらない。どう思う?」。彼らは小さいながらも真剣に考えて、納得し、「がんばって!」と笑顔で言ってくれました。「先生になるなんてカッコいい!」と、喜んでもくれました。これは子どもと対等に話し合った初めての経験で、その後子ども達との関係性が大きく変わったと思います。私は、子どもと相互依存しあう母親からある意味卒業したのです。
つらい時や大変な時には、それを相手に伝えることも大切です。実は私は、家族や仕事仲間に泣き言をかなりいいます。つらさを胸に秘めて鬼の形相をして頑張っても、周りにとってはありがた迷惑です。だったら、「ごめん、今は無理」とか「ごめん、手伝って」とか素直に伝えた方がいいと思い至ったからです。それは私の心を軽くするだけでなく、相手の気持ちも軽くするようで、ついでに助けてももらえるので、一石三鳥です。
それから、私はいつも優先順位を意識してきました。大きな目標は大切にしながらも、不測の事態のときは、可能な限り予定を変更して、時には家事すらも返上して、例えば家族が病気の時にはずっとそばに寄り添うなど、一日一時間一秒単位で優先順位を柔軟に変えてきました。そのおかげで、イライラしたり焦ったりすることがずいぶん軽減されたのではないかと思います。
私の究極の夢は、死ぬ瞬間に、たとえそれが突然のことであったとしても、長患いの末であったとしても、「あぁ、おもしろかった!」と言えることです。
幸せはしてもらうものではなく、自分で創るもの。でも、無理して創るものではない。
なので、今日も周りに助けてもらいながら、家庭生活も仕事も、楽しく頑張ろうと思います。継続は力なり、と信じて。
皆さんも楽しい人生が続きますよう、心からお祈りいたします。

遠山詳子さん(30回生)の略歴

氏名:遠山 詳子 <ビジネスネーム 詳胡子>(とおやま・しょうこ)
1959 年 12 月 6 日生まれ、宮﨑県出身(満 58 歳)宮崎県立大宮高校 30 回生。
専門は、国際観光学。
1977 年聖心女子大学文学部哲学科に進学し、1982 年に結婚。現在は長女・長男共に独立し、世田谷で夫と二人暮らし。専業主婦を経て起業し、2016 年には東洋大学大学院国際地域研究科国際観光学専攻博士前期課程を修了。研究課題は「ブライダルを軸とした地域活性化に関する考察」。株式会社エムシイエス代表取締役。株式会社遠山ビルディング代表取締役社長。東洋大学非常勤講師。「業界の常識は世間の非常識」という観点で、全国のブライダルやホテルなどホスピタリティ関連の企業や団体からの依頼で、各階層を対象に研修や講演を行っている。ホスピタリティ関連媒体での連載も多く、著書も多数。

【所属・資格等】
MAGIC COLORS STYLE 日本代表。余暇ツーリズム学会ブライダル分科会 副会長。
東洋大 国際観光学部 非常勤講師。(公社)日本ブライダル文化振興協会 初代ブライダルマスター、ブライダル大賞実行委員会委員、未婚化少子化委員会委員、ブライダルコーディネーター養成講座講師、ブライダルビジネスマネジメント講座講師。(一社)日本ホテル・レストランサービス技能協会 テーブルマナーマスター講師。(一社)国際ホテル&レストラン協会 1級~3級検定講師。(一社)メンタルヘルス協会 メンタルヘルスカウンセラー。
(NPO)日本ホスピタリティ推進協会 ホスピタリティコーディネータ。(NPO)料飲専門家団体連合会 儀典オーガナイザー。ICC 国際コーチング連盟 国際コーチ。サンタフェ NLP/発達心理学協会 プラクティショナー。エンパワーメントカウンセリング研究所 SP トランプ&ED カルタインストラクター。BCB(NLP×交流分析) ファシリテーター。ユニバーサルマナー協会 2 級取得。
【著書・単著】「プランナーズ マジック」「ウェディング マジック」「ブライダル・フェアマニュアル」「できる部下を育てるマネージャーは教えない!」「骨太サービスを創るメンタルマネジメント」
【著書・共著】「ソーシャル・ホスピタリティ」「ブライダル・ホスピタリティ・マネジメント」「バンケットサービス マニュアル」「中国料理のマネージャー」「宴会サービスの教科書」

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